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myheart育っていたのは“わたし”の心

2025年02月14日 壮大な物語 #育っていたのは“わたし”の心

2025年、明けましたね!

おめでとうございます。今年もどうぞ、ゆるりとお付き合いください。

我が家の三姉妹に出会ってくださった方たちは、彼女たちを見て、

「面白い!」とか「自立していてすごい!」とか、「どうやったらあんなふうに育つのだろうか?」と、関心を寄せてくださいます。

本当にありがたいことで、このブログが始まった経緯も、我が家の三姉妹がきっかけにあります。

とは言うものの、母としては、我が家の三姉妹が特別なのではない、と思っています。

どうしてそう思うのか?というと、

三姉妹が学校に行かない選択をしてから、同じように学校に行かない選択をして、フリースクールや居場所に通ってくる子どもたちと接した時に、

その子達も、本当にユニークで自分の心にまっすぐに生きており、見ていてとても生き生きと輝いていたからでした。

だから、三姉妹が特別なのではなくて、

もともと、みーーんな、自分をまっすぐに表現したら、その人なりの、その人にしかない魅力が現れてくるのだろうと、そう確信しているのです。

数年前からでしょうか。

「自分を生きる!」とか「ありのままで!」とか、そういうキャッチコピーが目につくようになりました。

時代が変わったとか、占星術的に星の配置が変わったとか、さまざま言われていますが、

どうしてそうなったのかの原因よりも、

実際に目の前に現れた我が子を通して、

そうだったならばどうしたらいいのか?という点で試行錯誤してきたように思います。

試行錯誤のひとつは、昨年まで綴っていた自分の過去の棚卸しだったり、自分の価値観の洗い出しだったり、時代で抱えてきた課題とかトラウマの、自分を通しての癒しだったりしています。

新しく生を受けてこの世に生まれてくる子たちは、本当にまっさらで、そのままを生きています。

その子どもたちを変化させている原因には、親が作ってきた、親を含む大人が作ってきた社会や価値観にあると思います。

人間は適応能力も高いものですから、自分がその輪に入って生きようとするならば、

幼い子どもは従って生きることを選択するでしょう。

でも、もともと持っている強い意志である「自分」というものは、どんなに適応できたとしても、

いつか彼らの人生において、発揮したくなるもので、その発揮がどういう形で現れるかにすぎないのだと思っています。

大人たちが作った社会システムに合わない子が不登校児だとしたら、

単純にその子に合ったシステムを構築すればいい話ですが、

長年の慣例によって慣れ親しんだ大人たちが、そのシステムを再構築することができずに、

「自分」を発揮したい子どもたちにとって、いや大人たちにとっても、不具合が生じている。

そのシステムのひとつには、親である自分自身もあって、

最小のシステムの再構築は、親からなのだと、

私が三姉妹を通して見えてきたことはこれにつきます。

価値観の再構築

小さくとも、生の輝きに満ちた子どもたちが、私の再構築を促してくれたのは言うまでもありません。

同時に、私自身も自分自身の再構築が必要なのだと真摯に受け止めたことで、

私の子育ては、私自身の育てであったし、新しい人類への「渡し」の育てでもあったのだと、氣付きました。

子育てが、そのような意味を含んでいることなど、もちろん最初から思っていなかったし、

そんな大層なこと思ってても言っていいもんじゃない、とも思っていたし、

なかなかこれを言葉にすることに苦労はしています(笑)

でも、子どもを産み育てるということは、壮大なことなのだと、今年は声を大にして言いたいと思います。

ある友人が、今の時代に子どもを持つなんて博打みたいだと言っていました。

私はそれを聞いて、とても悲しかった。

実際に子育てをされている人に対して、尊敬と敬意がないかのような出来事があることは事実です。

そうして子育てに自信が持てずに苦しんでいる親御さんがいることも事実です。

そんなことないよ!

大きな声でそう声をかけていきたい。

そして周りの人にとっても、自分が産んでいなくとも、子どもたちが育つ環境に、あなたも必ず含まれているよ、と言いたい。

ドイツやオーストリアで活躍した、思想家で教育家でもあるルドルフ・シュタイナー(シュタイナー教育で有名ですね)が残した、こんな言葉があります。

全ての教育は自己教育です。実のところ、教師や教育者としての私たちは、子どもにとっての環境でしかなく、子どもは自分で自分自身を教育していくのです。

親は子どもにとっての環境でしかない。

子どもたちを育てるということは、これから先を生きる世代の環境を育てることと同義です。

どういう環境を、次の世代に渡していきたいのか。

子どもはそれを教えてくれています。

小さな価値観でジャッジして、その壮大な物語を閉じてしまうのは、本当にもったいない。

全ての大人たちがその物語を一緒に作っていく人となることを願っています。

全ての大人たちがその物語を一緒に作っていく人となることを願っています。

(次回へつづく)