2025年04月30日 幸福な家庭を築くこと / やみくろと進歩 #それでも星を見つけよう
幸福な家庭は類似しているが、不幸な家庭は実にそれぞれの形で不幸である。
私が育ったのは、家に書庫があり哲学書をはじめ画集や詩集が並んでいるようなインテリ家庭だったけれども、家族構成は複雑で、育児に関しては限りなくネグレクトに近いブルーだったように思う。
幼少期に祖母が同居していなかったら、私は今ここに居なかったかもしれない。三姉妹で「おばあちゃんが居なかったら、多分誰か⚪︎んでたよね」と話していたことがある。邦画好きの人には伝わると思うのだが、是枝監督の「誰も知らない」ほど絶望的ではなく、「海街diary」ほどの希望はない、という環境だった。
今の私の家庭はというと、夫婦ともにお互いの実家のプラス要素は残し、マイナス面は潰して、ありふれた幸福な家庭を築くべく血反吐を吐くような努力を続けている。よく、楽しい努力は努力と感じないというが、苦しくても前に進みたくてやっている自覚があるのだからやはり努力である。
特に夫婦関係を表面的ではなく深いレベルで良好に保つことは一大事業で、お互いの精神の奥底まで降りていかなくてはいけないし、ものすごくパワーのいることだ。
村上春樹の小説に出てくる井戸に身体をねじ込み、地下世界を冒険する勇気と気力体力があるか? ……なくても続けていかなくてはならないという執念に似た欲求のもと、やみくろの元へ降りていく。
まぁそんな感じで、世代を跨いで私たちは進歩していると思う。
