2024年05月09日 困った時は実家・・・ #育っていたのは“わたし”の心
前回では、いかに私が、子育てにおいて社会一般的な「正解」を求めていたのか、そしてそれはとても苦しいものであったかをお話ししました。
当時の自分を今振り返ると、産後うつだったのだろうな、と冷静に観ることができますが、その時のわたしも、そして夫も、産後うつだと気づくことは出来ませんでした。
いや、むしろ気づいたらそれはまた「正解」ではなく「失敗」になるから、深層心理では気づきたくなかったのかも知れません。
毎回、育児の疲れがピークに達すると、私の感情が爆発して、夫と喧嘩になることがしょっちゅうありました。
その前になんとかしようと思った時、夫に相談を投げかけると、夫からは「実家に行ったら?」と言われたのでした。
私の母は、元幼稚園の先生ということもあり、育児に対してはとてもおおらかで、子どもの心理発達などに精通していたこともあり、困った時は実家に行く!というのが定番になりました。
長女が泣き止まず、にっちもさっちもいかなくなった時には、いつでも母に電話。
ある時、半分パニックになって泣きながら電話をかけると、
母からは、
「落ち着いて、目の前の子どものことをよく見なさい」
そう言われてハッと我に返ったことを強烈に覚えています。
子育てを経験してきた母の言葉は、ゆらぐことがなく、母は私にとって支えでした。
私にとって実家は、慣れ親しんだ場所でしたから、実家に帰るということは、とても安心したし、子育てにおいても、頼れる存在がすぐ近くにいることは、ありがたいことでしかなく、すっかり実家頼りになっていました。
子どもを育てるということは、一人でできることではありません。
夫婦でも十分ではなく、親や兄弟や親戚、そして近くにいるご近所さん、もっというと、通りすがりの人ですらも、時に必要な存在です。
アフリカの諺には、子どもを一人育てるのに、村がひとつ必要、とさえ言われています。
ですから、当時の私にとっては母に頼ることは必要なことでしたし、親や親戚に頼れることで救われることは多分にあるので、それを否定することはしません。
とはいえ、私自身に起きたことをお話しするとすれば、母に頼っていたことで、私自身がより子どもと向き合うことから遠ざかってしまったような、自分が自分の子どもを育てることで感じる、根本的な自信や、本能を感じることを、母に委ねてしまった、そんな風にも今は思えるのです。
さらに私の場合は、一緒に子育てをする一番のパートナーである夫との関係性において、この「実家に帰る」という行為は、その時の問題を簡単に解決しているようでいて、大事なことを育むことからは、どうやら遠ざかってしまっていたのでした。
次回へつづく。