2023年05月17日 第1回タイトル 「育てる」とは #育っていたのは“わたし”の心
「子育て」っていったい、なんでしょう?
単純に「子どもを育てること」でしょうか?
いったい、子どもの何を育てているのでしょうか?
身体でしょうか?心でしょうか?情緒でしょうか?
それともそれら全て?
「子育て」とは言いますが、「子ども」を育てているのでしょうか?
「育てる」とはいったいどういうことでしょうか?
これらの問いは、私自身が、我が家の3姉妹の子育てを通して、なぜ?どうして?と湧いてきたものです。
わたしは、この「子育て」というひとつの道で、人間というものの、計り知れない何かを感じずにはいられません。
子どもたちにはもちろんのこと、自分自身に対しても、この計り知れない何かを、「子育て」をしながら感じています。
それは、いったいなんだろうか?
少し、漠然として取りとめもない話題かもしれませんが、自分の子育てを振り返りながら、それを深掘りし、言葉として形にしてみようと思っています。そんな私の新しい旅路に、お付き合いくだされば幸いです。
さて、わたしの子育ては、計画していたようで、でも、それでいて突然にやってきました。
今思い返すと、「子育て」について、「子ども」について、ひいては、「人」というものについて、学んだことなどまるでなく、自分自身が人である、というだけで、当たり前のように、子どもができたら子育てができるかと思っていました。
生理現象として、おっぱいが出る、子どもが泣いたらすぐに起きられるなど、身体に変化は起きました。母性と呼ばれる子どもに対しての無償の愛も、わけもなく湧いてくる感謝の涙とともに、感じました。
それはたぶん本能的な反応で、本能としては、やはり自分が人である、ということだけで、子どもを育てるために必要なことは備わっているのだと思います。
ですが、当時の私には、その本能的な自分の反応よりも、知識や方法、スキル的なものに頼る傾向にありました。
それまでの人生で、本能に従うということをあまりしたことがなかったわけです。
妊娠がわかってから、すぐに人気の育児雑誌を買って読みました。
そこには、何時から寝かしつけを始めるとか、おっぱいの感覚は何時間かとか、子どもはみんな、こうやって育てたらよい、というような、情報ばかりでした。
本能に従うとは、確かに書いてはいなかったです。
そこで、長女に対しては、その育児本のように、育ててみたわけです。
実際に子育てが始まって、子どもとの様子はどうだったか?というと。
想像に難くないと思いますが、育児本のようにいったためしはなく、途方に暮れてしまうのでした。
次回へ続く