2024年03月08日 長女の育児がスタート! #育っていたのは“わたし”の心
前回、子育てを通して私自身が問うてきた問いと、実際に長女の子育てで、本能にしたがうよりも、育児本にしたがって子育てがスタートしたことを綴りました。
実際の子育ては、こんな感じでした。
朝、決まった時間におむつを替え、授乳をする。
長女は泣くまでベビーベッドで過ごし、その間わたしは、育児本とにらめっこ。
次の授乳の時間を3時間後と決め、その間に家事をすまし、きっちり3時間後に、おむつを替え、授乳をする。
長女が泣いたら、抱っこしてあやすのですが、なかなか泣き止まないと不安でおろおろし、やっぱり育児本にかじりつく。
そこにある解答を知りたくて、他の誰かの答えを必死で探していたのでした。
でも、実際わたしが対面しているのは、自分の娘であって、その本の中にいる誰かではないと氣がつくには、自分の心と身体が疲弊して初めて知ることでした。
今では笑い話としていますが、当時は、長女が蚊にさされただけで、自分のせいだと責め、泣いていました。産後の鬱のような状態であったのかもしれません。
それくらい自分の中で、
「母親になったら、母である私がちゃんと育児をしなくてはいけない」そんな風に思い詰めていたのだと思います。
目の前の長女が、何を望んでいるか?を感じるということより、
「ちゃんと」「正しく」育児することに没頭していたのでした。
どうしてそんなことになったのでしょう?
そこには、育児本の影響がとても大きかったと思っています。
雑誌の中のお母さんと赤ちゃんは、いつでも笑顔で、お部屋は綺麗に整い、美しい容姿(顔だけではなく、服装も含めて)でたたずんで、幸せそうにしている様は、憧れであり、それが正しい状態であり、その状態になれない自分は、母親としてダメだ、と思っていたからです。
私は、「私としての幸せ」というものより、「社会一般的な幸せ」の形にこだわっていたのかもしれません。
そんな状態での子育ては、もちろん限界を迎えるのでした。
次回へ続く